■跳馬の技術発展

※は追記

 

発表年

前転とび系の技術発展

側転とび系の技術発展

1974

1回ひねり前転とび〜1回ひねり(コルブト)

かかえ込みツカハラとび(ツリシチェワ)

1976

前転とび〜前方かかえ込み宙返り(エゲルバリ・ドンベック)

前転とび〜前方屈身宙返り(ドンベック)

かかえ込みツカハラとび1回ひねり(キム)

1977

 

伸身ツカハラとび(フィラトワ・シャポシュニコワ)

1978

前転とび〜前方かかえ込み宙返りひねり(ムヒナ・カナリー)

伸身ツカハラとび1回ひねり(シャポシュニコワ)

1979

前転とび〜1/2ひねり後方宙返り(カナリー)

 

1980

前転tとび〜前方かかえ込み2回宙返り(チェ・ジョンシル)

 

 

1回ひねり前転とび〜前方かかえこみ宙返り(ダビドワ)

 

1983

 

かかえ込みツカハラとび1回半ひねり(アガケ)

1993

前転とび〜前方伸身宙返り(エフドキモワ)

 

1994

 

側転とび1/4ひねり〜1/2ひねり前方伸身宙返り

(フェルプス)

1997

前転とび〜前方かかえ込み宙返り1回半ひねり

(バルガ・周端)

 

1998

前転とび〜前方伸身宙返り1回半ひねり(アトラー)

伸身ツカハラとび1回半ひねり(マッキントッシュ)

1999

 

伸身ツカハラとび2回ひねり(ザモロドチコワ)

 

 

上の表は前転跳び系の跳躍と側転跳び系の跳躍の技術発展を示している。宙返りにおける3つの姿勢では、かかえ込み・屈身・伸身の順序で回転効率が悪くなり、したがって難度も増してくるが、跳馬における宙返り技でもこの順序に従って新技発表がなされている。年月を経るに従って姿勢は徐々に伸身に近づき、左右軸の回転すなわちひねりが導入されていくことがうかがえる。

 

管理人の知る限り、1966年から1974年までの期間には第二空中局面に宙返りを伴う技は実施されていなかった。この時期はひねりを伴う、あるいは伴わない前方倒立回転跳び(前転跳び)や側方倒立回転跳び(側転とび)が主な技だった。男子においても第二空中局面において宙返りを伴う技がようやく登場してきた時期であり、器械規格(女子は高さ120cm、男子は高さ135cmに設定)や筋力で劣る女子選手にとってはまだ発展途上の時期であったとも言える。山下(現姓:松田)治廣氏が発表した前転跳びの第二空中局面において屈身姿勢を見せる「ヤマシタ跳び」を、メキシコ五輪においてチャスラフスカ(チェコスロバキア)が採り入れ、男性的な跳躍として話題になったという。

 

1974年から1982年は女子においても第二空中局面に宙返りを伴う技が飛躍的に増大した時期だった。この背景には技術研究やトレーニングの進歩に加え、ロイター式跳躍板の採用も挙げられる。前転跳び、側転とびの両系統の跳躍技において宙返りにひねりが導入された時期であり、特に側転とび系では最も難しい伸身姿勢での宙返りに1回ひねりが加えられている。また前転跳び系では1980年モスクワ五輪においてチェ・ジョンシル(北朝鮮)が実施した前転とび〜前方かかえ込み2回宙返りという技が挙げられる。男子においてはこの僅か2年前にローチェ(キューバ)が発表した技である。しかしこの技がその後女子において定着することはなく、世界大会では1999年天津世界選手権において1名(プロドノワ)の発表に限られている。これは器械規格の問題に加え、非常に危険性の伴う技であるという理由が考えられる(※その後ロシアのザシプキナがこの技を練習中に事故に遭ってしまいました)。女子においては第二空中局面における前後の回転数よりも、左右軸の回転数を増やしていくという発展の特徴がうかがえる。

 

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1982年のワールドカップ・ザグレブ大会において革命的な技が発表された。ソ連のナタリア・ユルチェンコが実施した「ロンダート入り」の跳躍である。助走から跳躍板に対してロンダートを行い、馬に背を向けて後転とびをする形で着手し、後方への宙返りを導入する技であり、「ユルチェンコ」という名で現在まで多くの選手が実施している。

 

この技の利点として、着手時に身体を弓なりに背屈させる際のむち打ち運動により、第二空中局面での高さとスピードが得られやすいことが挙げられる。更に宙返りにひねりを導入することも比較的容易に行え、筋力では男子に劣る女子選手にとっては効率が良く、以後の発展の可能性に富む技だと言える。

 

 

発表年

ユルチェンコ系の技術発展

1982

ロンダート〜後転とび〜後方伸身宙返り(ユルチェンコ)

ユルチェンコ1回ひねり(ユルチェンコ)

1984

ユルチェンコ1回半ひねり(シュシュノワ)

ユルチェンコ2回ひねり(グロワ)

1回ひねり着手〜後方かかえ込み宙返り(ルコニ)

1987

1回ひねり着手〜後方かかえ込み宙返り1回ひねり(プリアヒナ)

/2ひねり着手〜前方屈身宙返り(オメリヤンチク)

1992

/2ひねり〜前方伸身宙返り(ヒリスタキエワ)

/2ひねり着手〜前方かかえ込み宙返り1/2ひねり(酒井ひとみ)

1994

/2ひねり着手〜1/2ひねり後方屈身宙返り(ホルキナ)

1995

/2ひねり着手〜前方屈身宙返り1/2ひねり(ポドコパエワ)

2000

ユルチェンコ2回半ひねり(アマナール)

/2ひねり着手〜前方かかえ込み宙返り1回半ひねり(ホルキナ)

/2ひねり着手〜1/2ひねり後方伸身宙返り(ラドゥカン / モヤ)

2005

/2ひねり着手〜前方伸身宙返り1回半ひねり(程菲)

 

※92年に酒井選手が発表した技は「セルベンテ」という名前がついていますが、『スポーツアイ』によると酒井選手が世界に先駆けて発表したということです。翌年の世界選手権でチェコのクディルコワが実施しているのでおそらくセルベンテの発表もこの頃だと思われます。

 

発表者のユルチェンコ自身も同年に既に1回ひねりを加えることに成功しており、その2年後には現在でも高難度の技である2回ひねりが発表されるに至っている。開発以後、この技は急速に広まっていった。翌年の1983年ブダペスト世界選手権では彼女を含め2名の実施、1984年ロサンゼルス五輪の種目別決勝においても2名の実施であったが、ルール改正直後の1985年モントリオール世界選手権ではソ連の6名の選手全員がこのユルチェンコとびを実施し、ロサンゼルス五輪の種目別跳馬で優勝したエカテリーナ・サボー(ルーマニア)も、それまでの前転とび系の跳躍に代えてユルチェンコとびを実施した。以後1992年までロンダート〜後転とび〜後方伸身宙返り1回ひねり、通称「ユルチェンコ1回ひねり」という跳躍が世界的に流行した。

 

跳馬の演技では予め跳躍技自体に「価値点」が定められ、審判は決められた価値点から実施減点を行って最終得点を算出している(※2005年まで)。1992年までのルールではこのユルチェンコ1回ひねりの価値点は10点であり、完璧に実施した場合には10点が与えられていた。だがあまりに多くの選手が実施するようになって技としての価値が下がったということから、1993年度版ルールでこの跳躍の価値点は9.8満点に下げられた。したがって上位選手でこの技を実施する選手は次第に減少し、より価値点の高い技を追求していくこととなった。ロンダート入りの跳躍でその後増加したのが、踏み切り後に半ひねりを加えて馬に対して正面から着手する技である。この技は1987年にソ連のオクサナ・オメリヤンチクによって発表されていたが、その後暫くはこの技術を継承する選手は現れていなかった。だがそれまでの前転とび系の技とロンダートを組み合わせることで技の多様性と難しさ、独創性が増し、選手にとって取り組むべき価値のある技として再考されたと言えよう。1990年代半ばから現在まではこの跳躍での技術発展が顕著である。

 

また1984年ヨーロッパジュニア選手権において、パトリシア・ルコニ(イタリア)が着手までの第一空中局面に1回ひねりを加える技を発表している。この技は1987年のヨーロッパ選手権においてアレフティナ・プリアヒナ(ソ連)が第二空中局面の宙返りに1回ひねりを加えてその技術を継承したが、以後この跳躍を見ることは10年以上なかった。男子においては1992年バルセロナ五輪においてビタリー・シェルボ(EUN)が発表している。男子をも凌いだこの技の発表は当時の技術発展の凄まじさを物語っているが、馬が横向きに設置されていた女子においては着手失敗の危険性が更に高いことが広まりを見せなかった理由だと考えられる。だが2001年に新型跳馬が導入されて着手スペースが大幅に広がったことにより、その希少性から価値点の高いこの技を実施する選手が増加した。このように、ルールや器械規格の変化との相関において、その時代ごとに流行技が見られてきたのも跳馬の特徴である。

 

このようにユルチェンコとびは体操界にセンセーションを巻き起こし、当時国際連盟会長であったユリ・チトフ氏もインタビューにおいて「ロンダートを使った跳躍は非常に好ましく、素晴らしい変化であった」と述べている。だがこのユルチェンコとびには弊害もある。第一空中局面における運動が非常に複雑であるために選手の心理的負担も大きく、習得までに相当な時間を要する。また着手面を確認できずに後ろ向きに踏み切ることは着手の失敗を招きやすく、更に跳躍板を踏み外す可能性もある。実際に1988年5月に日本で開催された大会において、ジュリサ・ゴメス(アメリカ)がこの跳躍を行った際に跳躍板を踏み外して跳馬に叩きつけられ、首を骨折してそのまま亡くなるという大事故が起きている。この事故により、同年のソウル五輪からは跳躍板と跳馬の隙間を埋めるスペーサーマットが使用され、踏み外した場合の衝撃を緩和させる措置がなされている。なお当時は任意使用であったが、2001年度版ルール以降はこのスペーサーマットの使用が義務づけられた。

 

跳馬における技術発展は80年代にピークを迎え、90年代は停滞期であったと言える。当時の器械規格では想定しうる技は全て出尽くした感もあった。この技術停滞を打破するために1997年に跳馬の高さが120pから125cmに変更された。このルール変更により、それまでの技に更にひねりを加えるなど新たな発展の兆しが見え、1999年には伸身ツカハラ跳び2回ひねりが、そして2000年にはユルチェンコ跳び2回半ひねりが新たに発表された。後者は現在でも世界で僅か数名が実施した技にとどまっているが、前者は徐々に広まりを見せつつある。

 

 

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